そろそろ行ったことの無い方面が無くなってきました。
北方面が続いていたので、今回は南方面へと考えましたが、既に葛西臨海公園へは行ってしまったばっかりなので、午前中は家でグーグルマップとにらめっこです。
葛西臨海公園は荒川の東岸ですが、じゃあ今度は西岸!!と言う事で木場に決定です。正直行った事はありません。
じゃ、木場まではどうやって行くか??
行く手を阻む信号や自動車がない事から河川敷しか頭になかったのですが、ここで考え直し、今日は都会を走っていこうと趣向を変えました。
まずは巣鴨付近から白山通りを皇居に向かいました。自動車でももちろん自転車でも慣れた道です。
皇居前広場の広くて人通りの少ない歩道を駆け抜け、晴海通りを、有楽町、銀座、築地を通過して、さらには豊洲を抜けて一気に湾岸線まで行きました。銀座はふつう電車で行くので、そこを自転車で走るのは複雑な気分です。
高速湾岸線の下を走るのは気分的にやなので、湾岸道路をくぐり、海沿いを木場に向かいます。
トラックがたくさん走っていて、決して空気が良い訳ではありませんでしたが、海景色は良かったので結果オーライとします。
木場の先には、若洲海浜公園というのがあり、のんびりくつろげる公園とゴルフ場があります。釣りなんかも流行っているようです。
この公園、結構ゆったりしていてとても気に入りました。東京に長いこと住んでいましたが、知りませんでした。ここも、家族で車で出掛ける候補地です。
公園(ゴルフ場)の廻りをぐるっと一回りし、次の目的地に向かいました。
橋を渡って木場へ戻ってなるべく荒川沿いをと走ったところ、なにやらヘリコプターが飛んでるじゃないですか。東京へリポートでした。
ヘリポートの海側は公園になっていたので、公園のベンチで休憩を兼ねたヘリコプター見学です。
ヘリコプターは、以前に観光やへリスキーで乗った事がありましたが、久々に近くで見ると、とてもうるさくてそれがなんだかかっこいい!!って感じです。
なんだかんだしている内に、時間も経過していましたので、帰りはいつものお世話になっている荒川河川敷を走る事とします。
ヘリポートが荒川沿いなのでそのまま川沿いをと考えましたが、川沿いには道がありません。
遠回りをして明治通りから河川敷に向かいましたが、明治通りは夢の島公園を貫通しています。時間があれば公園を散策したかったのですが、今日はあきらめて、公園の端をちょろっと覗いて河川敷に向かいました。
河川敷は例によって向かい風です。頑張ってペダルを漕ぎ、家まで最短距離となる四つ木橋から西日暮里を抜けて帰宅しました。
結局今日も、へとへとです。約55Kmの道のりで、本日で延300Km走破です。
2009年11月20日金曜日
2009年11月19日木曜日
中学生から高校生の頃はランドナー三昧でした。
ランドナー三昧当時の思い出を、思い出すままに書いてみます。
中学生から高校生にかけてのころ、電車代にそんなにお金をかけられなかったので、自転車で遠出して、テントに泊まるというのが最適でした。
その頃体力はありましたが、それでも1日に120Km程度が限界です。120Kmというと、ちょうど我が家から富士五湖あたり迄の片道です。泊まりで行くにも日程に限界があるので、富士五湖あたりに行くときは、往きは輪行で、還りは走ってといったパターンが多かったです。標高の高い場所へ行くにはそのパターンの方が、還りに下り坂が多いので楽です。
千葉方面に行ったときは、往きは輪行で外房まで行き、千葉の山のなかを横断して木更津へぬけ、フェリーで川崎迄渡り、また走っって東京へといったパターンです。
鎌倉に行ったときは、輪行で北鎌倉駅まで行き、無謀にも天園方面の山道を走りました。(ほとんど手押しでしたが。)
やびつ峠に行ったときは、太平洋側から舗装路をひたすら登り、下りはダート道をとばしました。
奥多摩湖から塩山へ抜けたときは、雪道で恐ろしかったです。
山中湖の知人の別荘に泊まりで行ったときは、よる花火大会があり、今でも心に焼き付いています。往復走り抜きました。
軽井沢も知人の別送を利用しましたが、往きは万座鹿沢口まで輪行し、軽井沢に2泊して、家まで走って帰ってきました。
それ以外にも、いっぱい、いっぱい色々なところに行きました。
今思い返すと、結構無謀な計画もありましたが、どれも楽しかった思い出です。
この年齢になると、このようなサイクリングには出掛けられません。近場を数時間流す事が主ですが、近場の良さも解ってきました。
近いのに、行った事がなくて結構良い場所だなと感じるのは、ざーっと以下の所です。
・彩湖 ・木場 ・豊洲あたり ・葛西臨海公園
最近寒くなり、ロードで出掛けるのがおっくうです。早く温かくならないかなと思います。
中学生から高校生にかけてのころ、電車代にそんなにお金をかけられなかったので、自転車で遠出して、テントに泊まるというのが最適でした。
その頃体力はありましたが、それでも1日に120Km程度が限界です。120Kmというと、ちょうど我が家から富士五湖あたり迄の片道です。泊まりで行くにも日程に限界があるので、富士五湖あたりに行くときは、往きは輪行で、還りは走ってといったパターンが多かったです。標高の高い場所へ行くにはそのパターンの方が、還りに下り坂が多いので楽です。
千葉方面に行ったときは、往きは輪行で外房まで行き、千葉の山のなかを横断して木更津へぬけ、フェリーで川崎迄渡り、また走っって東京へといったパターンです。
鎌倉に行ったときは、輪行で北鎌倉駅まで行き、無謀にも天園方面の山道を走りました。(ほとんど手押しでしたが。)
やびつ峠に行ったときは、太平洋側から舗装路をひたすら登り、下りはダート道をとばしました。
奥多摩湖から塩山へ抜けたときは、雪道で恐ろしかったです。
山中湖の知人の別荘に泊まりで行ったときは、よる花火大会があり、今でも心に焼き付いています。往復走り抜きました。
軽井沢も知人の別送を利用しましたが、往きは万座鹿沢口まで輪行し、軽井沢に2泊して、家まで走って帰ってきました。
それ以外にも、いっぱい、いっぱい色々なところに行きました。
今思い返すと、結構無謀な計画もありましたが、どれも楽しかった思い出です。
この年齢になると、このようなサイクリングには出掛けられません。近場を数時間流す事が主ですが、近場の良さも解ってきました。
近いのに、行った事がなくて結構良い場所だなと感じるのは、ざーっと以下の所です。
・彩湖 ・木場 ・豊洲あたり ・葛西臨海公園
最近寒くなり、ロードで出掛けるのがおっくうです。早く温かくならないかなと思います。
9月23日(水) 6回目のRUNは、息子と一緒でした。
シルバーウィークの最終日です。連休最終日なので、体を休めようと朝から家でゆっくりしていました。しかし午後の3時頃、息子が、とある事で頼み事をしてきたので、これがチャンスと思い、条件つきで相談に乗りました。その条件として、自分と一緒に走りに行く事で話がまとまりました。
とはいえ、我が家にはスポーツサイクルが1台しかありません。私がロードに乗り、息子が5段ギヤのママチャリです。
早速家を出て、例によって田端経由で、5Km程走って荒川河川敷に到着です。
さすがに高校生の息子は元気です。河川敷に着いても、全然疲れた様子はなく平然としていました。私が、「これ軽いけど乗ってみる?」と聞くと、すぐに「乗ってみる!」との返答が来ました。息子は運動音痴ではないのですが、ドロップハンドルとトークリップにはとまどっていました。数分も走るとすぐに慣れ、スポーツサイクルの快適さが解ったようです。そのおかげで、河川敷を走っている間は、SANNOWを返してくれず、私はママチャリで、息子に必死について行く事になりました。
息子はトークリップに慣れておらず、始終クリップを引きずりっ放しです。樹脂製のクリップは無惨な姿になりました。でも、かわいい息子が自転車の良さを理解できたので良し!としました。キャッツアイのショボい樹脂製クリップだったので、この機会にと思い、スチール製のクリストフをオークションで落とし、いつでも交換できる状態です。
本日の走行距離は25Km程ですが、息子にとっては新鮮な経験だったようです。私にとっては、ロードの50Kmより、ずーーっときつい、ママチャリの25Kmでした。ママチャリをこぐに使う筋肉は、ロードをこぐときの筋肉とは全然違うようで、いつもとは違った場所の筋肉が痛くなりました。
息子はもともと一人でママチャリで出掛けるのが好きなので、私が、「ロードもう1台買ったら乗る?」と聞いたら、「乗る乗る!!」と答えが返ってきました。(もちろん私のSANNOWは、壊れたり盗まれたら大変なので絶対貸せません。(^_^;))
オークションに出品しているGS継ぎハブやカンビオコルサが売れたら、1台買ってやろうと思います。
とはいえ、我が家にはスポーツサイクルが1台しかありません。私がロードに乗り、息子が5段ギヤのママチャリです。
早速家を出て、例によって田端経由で、5Km程走って荒川河川敷に到着です。
さすがに高校生の息子は元気です。河川敷に着いても、全然疲れた様子はなく平然としていました。私が、「これ軽いけど乗ってみる?」と聞くと、すぐに「乗ってみる!」との返答が来ました。息子は運動音痴ではないのですが、ドロップハンドルとトークリップにはとまどっていました。数分も走るとすぐに慣れ、スポーツサイクルの快適さが解ったようです。そのおかげで、河川敷を走っている間は、SANNOWを返してくれず、私はママチャリで、息子に必死について行く事になりました。
息子はトークリップに慣れておらず、始終クリップを引きずりっ放しです。樹脂製のクリップは無惨な姿になりました。でも、かわいい息子が自転車の良さを理解できたので良し!としました。キャッツアイのショボい樹脂製クリップだったので、この機会にと思い、スチール製のクリストフをオークションで落とし、いつでも交換できる状態です。
本日の走行距離は25Km程ですが、息子にとっては新鮮な経験だったようです。私にとっては、ロードの50Kmより、ずーーっときつい、ママチャリの25Kmでした。ママチャリをこぐに使う筋肉は、ロードをこぐときの筋肉とは全然違うようで、いつもとは違った場所の筋肉が痛くなりました。
息子はもともと一人でママチャリで出掛けるのが好きなので、私が、「ロードもう1台買ったら乗る?」と聞いたら、「乗る乗る!!」と答えが返ってきました。(もちろん私のSANNOWは、壊れたり盗まれたら大変なので絶対貸せません。(^_^;))
オークションに出品しているGS継ぎハブやカンビオコルサが売れたら、1台買ってやろうと思います。
2009年11月17日火曜日
懐かしいロッカー Char/アルバム「Char」
自転車に乗り始めた頃、洋楽なんかも聴き始めたのですが、その頃は学生ながらも友人がバンドを組んでミニコンサートを開いたりしていました。あいにく私は楽器音痴なので、見に行っているだけでしたが、友人の影響もあり、Charがとても気に入っていました。
ところで、Charって知ってます?
もう結構いい年ですが、最近ではVaioの宣伝なんかをしていました。(電車の中の宣伝で見ました。)
まだまだかっこいいです。
当時の曲でヒットしたのが、「闘牛士」や「スモーキー」、「気絶するほど悩ましい」などです。
Charはギタリストとしての腕前は日本国内でトップクラスでした。
そのころ一般受けしていたのは高中正義あたりですが、ギターの腕は比べ物になりません。
曲が一般市民にヒットしていた頃はアイドル的に扱われ、ドラマや雑誌にも出ていました。
何の雑誌かは忘れましたが、とある雑誌では、サイクルキャップをかぶりロードレーサーに乗っている写真が掲載され、実はサイクリストであったという記事がありました。
そういえば、Charのファーストアルバムである「Char」のなかには、我々サイクリストや登山家などが感じる、大自然を愛する思いみたいな気持ちを歌っている曲があります。
当時はLPでしたが、今はCDも発売されていますので、特に初期の頃のCharを聞いてみて下さい。
ちょっと古くさいですが、とってもお薦めです。
ところで、Charって知ってます?
もう結構いい年ですが、最近ではVaioの宣伝なんかをしていました。(電車の中の宣伝で見ました。)
まだまだかっこいいです。
当時の曲でヒットしたのが、「闘牛士」や「スモーキー」、「気絶するほど悩ましい」などです。
Charはギタリストとしての腕前は日本国内でトップクラスでした。
そのころ一般受けしていたのは高中正義あたりですが、ギターの腕は比べ物になりません。
曲が一般市民にヒットしていた頃はアイドル的に扱われ、ドラマや雑誌にも出ていました。
何の雑誌かは忘れましたが、とある雑誌では、サイクルキャップをかぶりロードレーサーに乗っている写真が掲載され、実はサイクリストであったという記事がありました。
そういえば、Charのファーストアルバムである「Char」のなかには、我々サイクリストや登山家などが感じる、大自然を愛する思いみたいな気持ちを歌っている曲があります。
当時はLPでしたが、今はCDも発売されていますので、特に初期の頃のCharを聞いてみて下さい。
ちょっと古くさいですが、とってもお薦めです。
2009年11月12日木曜日
「サイクルセンターすずき」って知ってます?
私が中学生~高校生くらいの頃に、我が家から比較的近めの有名サイクルショップと言えば、アルプススポーツです。もう無いんですよねえ。オーナーではないと思いますが、異常に度の強い牛乳ビン底眼鏡をかけたおっさんが、作業着を着て親しく話しかけてくれました。友人とは影で「ホモ親父」と呼んでいましたが、ひどい話ですよね。今はどこで何をしているのでしょうか。
アルプスよりも頻繁に通ったのは、王子にあるサイクルセンターすずきです。当時、暇を見ては通い続け、ショーケース内のカンパやユーレを眺めては、高い値段にため息をついていました。このショップは、スモールパーツも揃っていて、いちいち取り寄せなくても買う事が出来た記憶があります。いつも安い物をちょっとしか買わないのに、店に入ると、トンでもなく長く入り浸っていたので、今考えるとやな客だったと思います。その頃店には、ぶっきらぼうなお兄さんと、にこにこした親父さんが居ました。
そのサイクルセンターすずきですが、この夏に、愛車SANNOWのレストアの為、タイヤやチューブを買いに訪ねてみました。そのあたりに行ったのは30数年前ぶりでした。おぼろげな記憶を頼りに、前の道順の通り明治通りから行ったのですが、ショップの入っていたビルすら見つかりません。
数日前に何気なくインターネットで調べたときには、まだ存在している事を確認出来ていましたが、その地図を持って行かなかった為場所が解らず、何度か往復したり、ケータイのナビタイムなどで調べやっと存在を確認しました。
当時ショップの入っていたビルはなくなり、大きなソフトバンク?のビルになっていて、その2階の片隅にありました。入口もビルの端のちょっとした階段から上っていきます。看板は出していたのですが、通りに面しているもんだとばっかり思いこんでいたので、見つける事が出来なかったようです。
おそるおそる店にはいると、なんと例のぶっきらぼうなお兄さん(おじさんになっていましたが...)がまだ健在でした。懐かしさの涙を抑えつつ、タイヤやグリスを購入し、当時の通って入り浸った話をしてみました。僕にとっては、本当に懐かしい思い出だったのですが、そのお兄さんは相変わらずクールで、ああそうですか。全然覚えていません的な応答で、ちょっと悲しかったです。
アルプスよりも頻繁に通ったのは、王子にあるサイクルセンターすずきです。当時、暇を見ては通い続け、ショーケース内のカンパやユーレを眺めては、高い値段にため息をついていました。このショップは、スモールパーツも揃っていて、いちいち取り寄せなくても買う事が出来た記憶があります。いつも安い物をちょっとしか買わないのに、店に入ると、トンでもなく長く入り浸っていたので、今考えるとやな客だったと思います。その頃店には、ぶっきらぼうなお兄さんと、にこにこした親父さんが居ました。
そのサイクルセンターすずきですが、この夏に、愛車SANNOWのレストアの為、タイヤやチューブを買いに訪ねてみました。そのあたりに行ったのは30数年前ぶりでした。おぼろげな記憶を頼りに、前の道順の通り明治通りから行ったのですが、ショップの入っていたビルすら見つかりません。
数日前に何気なくインターネットで調べたときには、まだ存在している事を確認出来ていましたが、その地図を持って行かなかった為場所が解らず、何度か往復したり、ケータイのナビタイムなどで調べやっと存在を確認しました。
当時ショップの入っていたビルはなくなり、大きなソフトバンク?のビルになっていて、その2階の片隅にありました。入口もビルの端のちょっとした階段から上っていきます。看板は出していたのですが、通りに面しているもんだとばっかり思いこんでいたので、見つける事が出来なかったようです。
おそるおそる店にはいると、なんと例のぶっきらぼうなお兄さん(おじさんになっていましたが...)がまだ健在でした。懐かしさの涙を抑えつつ、タイヤやグリスを購入し、当時の通って入り浸った話をしてみました。僕にとっては、本当に懐かしい思い出だったのですが、そのお兄さんは相変わらずクールで、ああそうですか。全然覚えていません的な応答で、ちょっと悲しかったです。
2009年11月11日水曜日
最初の本格自転車 ベニックス
私のSANNOWを譲ってくれた方は、今はもうすぐ定年退職位の人です。
私の頃は、自転車に乗る人を普通に「サイクリスト」等と呼んでいましたが、その人の時代は、「ジテ公」と呼んでいたそうです。漢字が違うかも知れませんが。
私が自転車に乗り始めたきっかけですが、ざっと以下のとおりです。
私が中学生位の頃に、父の友人で、自転車マニア(競輪マニア)がいて、私の家に遊びに来た時に、エバレスト、エバレストと言っていました。私は自転車のことは良く知らず、山の「エベレスト」の間違いじゃないの?と思っていました。後にわかったのですが、湯島あたりにあった土屋製作所のマシンだったようです。当時は確かにエバレストと言っていました。
そのかたか、他の方かははっきり覚えていませんが、父の友人が、当時ラグレスハイテンのベニックスランドナー(丸紅山口製)をくれました。ノートンのサイドバッグとキャリアも一緒にです。その頃私はセミドロップに乗っていて、友人達はロードマンです。ロードマンがやけにかっこよく見えていた頃なので、そのベニックスはイメージカラーの汚い黄土色のやつがちょっといやでした。ベニックスを乗るにつれて、ベニックスは本格的であり、ロードマンがおもちゃに見えるようになってきました。
その頃(中学生くらい?)からテントを積んでよく出掛けるようになり、私の自転車マニアが始まりました。
(続きは後日投稿します。)
私の頃は、自転車に乗る人を普通に「サイクリスト」等と呼んでいましたが、その人の時代は、「ジテ公」と呼んでいたそうです。漢字が違うかも知れませんが。
私が自転車に乗り始めたきっかけですが、ざっと以下のとおりです。
私が中学生位の頃に、父の友人で、自転車マニア(競輪マニア)がいて、私の家に遊びに来た時に、エバレスト、エバレストと言っていました。私は自転車のことは良く知らず、山の「エベレスト」の間違いじゃないの?と思っていました。後にわかったのですが、湯島あたりにあった土屋製作所のマシンだったようです。当時は確かにエバレストと言っていました。
そのかたか、他の方かははっきり覚えていませんが、父の友人が、当時ラグレスハイテンのベニックスランドナー(丸紅山口製)をくれました。ノートンのサイドバッグとキャリアも一緒にです。その頃私はセミドロップに乗っていて、友人達はロードマンです。ロードマンがやけにかっこよく見えていた頃なので、そのベニックスはイメージカラーの汚い黄土色のやつがちょっといやでした。ベニックスを乗るにつれて、ベニックスは本格的であり、ロードマンがおもちゃに見えるようになってきました。
その頃(中学生くらい?)からテントを積んでよく出掛けるようになり、私の自転車マニアが始まりました。
(続きは後日投稿します。)
2009年11月9日月曜日
9月22日(火) 5回目のRUN「彩湖」
今年は9月にシルバーウィークというのがありました。
5連休の内、1日目は葛西臨海公園へ行きましたが、もう一日ぐらいは出掛けたいと思い、例の川口の方の勧めでもあった、笹目橋のむこうにある彩湖まで行きました。
戸田橋・笹目橋あたりは結構遠いんじゃないかと思っていて、前に戸田橋まで行ったときには、中山道を直進して近道しましたが、今回は荒川までの最短距離である、江北橋からのチャレンジです。
ひたすら荒川東岸を北上し、あっという間に彩湖に到着です。
河原には人工的な石畳みたいな通路が水上にあって、子供達が遊んでいます。
とてもいい場所だったので、今度は家族と車で来たいと思いました。
彩湖までは結構早く着いたので、更に足を伸ばして、秋ヶ瀬橋まで一気に駆け抜け、今度は荒川西岸を南下です。結構体も慣れてきて取っても快適でした。
本日約50Km走行で、延べ220Kmの走破です。
ところで、我が愛車であるピンクのSANNOWと言えば、初日にフリーのトップがちぎれてしまい、不便な思いをしていました。
実はいつの頃からか手元にレジナを持っていました。
ちぎれたミルレモのフリー抜きが無かったのですが、先日通販でパークツールのやつを注文し、やっと到着したので、出掛ける前に交換しました。
トップがあるか無いかで、快適度がこんなに違うとは...レジナはうるさいという人もいますが、このうるささは結構心地よいと思います。
ただし、やり方がまずかったのか、クイックシャフトが曲がってしまいました。
また、リアハブは6速用のハブアクスルでしたが、6段フリーは持ち合わせがなかったので、ミルレモ5段を入れていました。フレームは120mmだったのですが、問題ないだろうと判断し、フレームを無理矢理広げてはめていました。(本当に良かったのでしょうか?)
今回せっかくフリーを外したので、このついでにアクスルの120mmに交換です。手持ちの別のカンパハブから120mmアクスルとクイックを外して、ピンクのSANNOWに取り付けました。
2つの不安を一気に解消できてとても満足です。さらには曲がったシャフトも交換できて喜び3倍です。
自転車いじりのプチ幸せはこんな所にもあるのではないかと思いますが、皆さん如何でしょうか。
ちなみに、ピンクのSANNOWでは、まだパンクなどその他のトラブルは経験していません。
5連休の内、1日目は葛西臨海公園へ行きましたが、もう一日ぐらいは出掛けたいと思い、例の川口の方の勧めでもあった、笹目橋のむこうにある彩湖まで行きました。
戸田橋・笹目橋あたりは結構遠いんじゃないかと思っていて、前に戸田橋まで行ったときには、中山道を直進して近道しましたが、今回は荒川までの最短距離である、江北橋からのチャレンジです。
ひたすら荒川東岸を北上し、あっという間に彩湖に到着です。
河原には人工的な石畳みたいな通路が水上にあって、子供達が遊んでいます。
とてもいい場所だったので、今度は家族と車で来たいと思いました。
彩湖までは結構早く着いたので、更に足を伸ばして、秋ヶ瀬橋まで一気に駆け抜け、今度は荒川西岸を南下です。結構体も慣れてきて取っても快適でした。
本日約50Km走行で、延べ220Kmの走破です。
ところで、我が愛車であるピンクのSANNOWと言えば、初日にフリーのトップがちぎれてしまい、不便な思いをしていました。
実はいつの頃からか手元にレジナを持っていました。
ちぎれたミルレモのフリー抜きが無かったのですが、先日通販でパークツールのやつを注文し、やっと到着したので、出掛ける前に交換しました。
トップがあるか無いかで、快適度がこんなに違うとは...レジナはうるさいという人もいますが、このうるささは結構心地よいと思います。
ただし、やり方がまずかったのか、クイックシャフトが曲がってしまいました。
また、リアハブは6速用のハブアクスルでしたが、6段フリーは持ち合わせがなかったので、ミルレモ5段を入れていました。フレームは120mmだったのですが、問題ないだろうと判断し、フレームを無理矢理広げてはめていました。(本当に良かったのでしょうか?)
今回せっかくフリーを外したので、このついでにアクスルの120mmに交換です。手持ちの別のカンパハブから120mmアクスルとクイックを外して、ピンクのSANNOWに取り付けました。
2つの不安を一気に解消できてとても満足です。さらには曲がったシャフトも交換できて喜び3倍です。
自転車いじりのプチ幸せはこんな所にもあるのではないかと思いますが、皆さん如何でしょうか。
ちなみに、ピンクのSANNOWでは、まだパンクなどその他のトラブルは経験していません。
2009年11月6日金曜日
9月19日(土) 4回目のRUN「葛西臨海公園」
長期休暇が終わり、昨日まで4日ほど会社に通いました。長いあいだ会社に行っていなかったので、今週は仕事が結構きつかったです。やっと土曜日になったので体を休めようと思いましたが、今日の我が家は誰もいません。で、暇なので、やっぱりサイクリングに出掛ける事にしました。
先日、川口出身の方のお勧めがありましたが、長距離?も慣れてきたので、今日は葛西臨海公園までの挑戦です。
ところで、ピンクのSANNOWですが、入手時は塗装無し→スプレー缶の黄色を経て→今のピンク焼き付けになりました。好きこのんでピンクにしたのではなく、ピンクと赤の中間程度のパール塗装を狙ったのですが、塗装屋がパールを入れすぎたのか、まるっきりピンクになってしまいました。また、不明のチューブラーリムにアトムのハブが実装されていましたが、チューブラーのパンク修理などは一度もした事が無く、かなり不安だったので、レストアの頃ちょうど手に入ったMAVICのWO+カンパスモールレコに交換しました。
さらには、パンク修理キットを買わなければと思いつつ、不安を抱えながら今まで過ごしてきましたが、荒川に向かう途中で中規模のサイクルショップがあり、パンク修理キットを買いました。これでいつでもパンク来い!状態です。
四つ木橋から荒川東岸を南下して行くと、平井あたりから中川と並ぶんですね。両川の間を走っていると、葛西臨海公園まであと4~5Kmのあたりでなんと行き止まりです。知りませんでした。やむを得ず、渡れる橋まで戻り、なんとか葛西臨海公園に到着です。
葛西臨海公園に近づくと、なにやら今流行のファッションをまとったサイクリストがウジャウジャいます。公園にはいると、誘導員に導かれ、イベント会場に到着です。誘導員が「こっちこっち」って言うからついつい行ってしまいましたが、TOKYOセンチュリーライドARAKAWA2009というイベントでした。
私には全然関係ないので、さらっとその場をさり、コーラゼロを飲み干してディズニーランドを眺める事としました。
そうこうしている内に、午後3時頃になってしまったので、帰る事とします。
扇大橋まで戻り、田端経由で帰路についてのですが、なかなかの向かい風で、思うように進みません。川口で出会ったオッちゃんは元気だなあと思いつつ、何とか頑張って家に到着です。
本日の走行距離は、今までで最長の約55Km、延べ走行距離は170Kmです。
(9月19日の記録ですが、今日はもう11月で、寒いこの頃です。)
先日、川口出身の方のお勧めがありましたが、長距離?も慣れてきたので、今日は葛西臨海公園までの挑戦です。
ところで、ピンクのSANNOWですが、入手時は塗装無し→スプレー缶の黄色を経て→今のピンク焼き付けになりました。好きこのんでピンクにしたのではなく、ピンクと赤の中間程度のパール塗装を狙ったのですが、塗装屋がパールを入れすぎたのか、まるっきりピンクになってしまいました。また、不明のチューブラーリムにアトムのハブが実装されていましたが、チューブラーのパンク修理などは一度もした事が無く、かなり不安だったので、レストアの頃ちょうど手に入ったMAVICのWO+カンパスモールレコに交換しました。
さらには、パンク修理キットを買わなければと思いつつ、不安を抱えながら今まで過ごしてきましたが、荒川に向かう途中で中規模のサイクルショップがあり、パンク修理キットを買いました。これでいつでもパンク来い!状態です。
四つ木橋から荒川東岸を南下して行くと、平井あたりから中川と並ぶんですね。両川の間を走っていると、葛西臨海公園まであと4~5Kmのあたりでなんと行き止まりです。知りませんでした。やむを得ず、渡れる橋まで戻り、なんとか葛西臨海公園に到着です。
葛西臨海公園に近づくと、なにやら今流行のファッションをまとったサイクリストがウジャウジャいます。公園にはいると、誘導員に導かれ、イベント会場に到着です。誘導員が「こっちこっち」って言うからついつい行ってしまいましたが、TOKYOセンチュリーライドARAKAWA2009というイベントでした。
私には全然関係ないので、さらっとその場をさり、コーラゼロを飲み干してディズニーランドを眺める事としました。
そうこうしている内に、午後3時頃になってしまったので、帰る事とします。
扇大橋まで戻り、田端経由で帰路についてのですが、なかなかの向かい風で、思うように進みません。川口で出会ったオッちゃんは元気だなあと思いつつ、何とか頑張って家に到着です。
本日の走行距離は、今までで最長の約55Km、延べ走行距離は170Kmです。
(9月19日の記録ですが、今日はもう11月で、寒いこの頃です。)
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