2009年12月19日土曜日

ピンクのSANNOWの冬眠と、復活の日に向けての準備

 我が家の駐輪場(といっても1軒家なので、3台程度しか停めらないタダのスペース。)は、前面の普通の一方通行道路に面しているので、せっかく時間をかけて作った私の宝物であるピンクのSANNOWを、気軽に停めておく訳にはいきません。盗まれでもしたら、お金を掛けても簡単には戻ってきませんので泣くに泣けなくなってしまいます。

 その対策として色々考えました。壁付けのディスプレイスタンドを改造して、フレームとホイールに鍵が掛けられるようにし、駐車場の壁(ALC:軽量発泡コンクリート)にアンカーを打って固定する計画も立てていますが、手頃なスタンドがないので、計画が進みません。

 ピンクのSANNOWは、どんなに多く乗っても週に1回だし、最近は寒いので、ほとんど乗っていません。しかし、バラして押入に入れてしまっては、それこそ乗る準備が大変です。

 ちょうど都合の良い事に、我が家の愛車は7人乗りミニバンです。3列目のシートを倒して場所を確保し、ピンクのSANNOWのホイルだけをはずせば、ハンドルを抜かなくっても、車の中にしまう事が出来ます。車の中に、汚れてもいい毛布を敷き、ピンクのSANNOWを、赤ちゃんをくるむようにしまい込みます。

 ピンクのSANNOWが完成した9月からは、以上のように保管して、乗るたびに車からだし、組み立てて乗っていました。出して組み立てるに5分程度ですので、全然OKです。

 そんな事を繰り返しているうちに、先日、我が親族関係で法事をする事となりました。法事では、お寺の往復や、そのあとの食事をする場所まで、皆さんを車に乗せて移動しなければなりません。いつもは5人しか乗らないので、ピンクのSANNOWは後ろの方に積んだままですが、法事では7人乗る事になるので、家族からは、「どうするの?」と、追い立てられ、とりあえず車からピンクのSANNOWを降ろす事となりました。玄関においておく訳にもいかずの状態です。

 最近めっぽう寒いので、ココは割り切って、ノートンのビンテージ輪行袋に入れ、押入にしまう事としました。実は、季節がTシャツで走れなくなってきた頃から寒くて、全然ピンクのSANNOWには乗っていませんでした。

 という事で、次にピンクのSANNOWに乗るのは、春になりそうです。となると、せっかく取り戻した体力の低下が心配なので、春までの間は、夏頃から続けていた、ビリーズブートキャンプをやり続ける事としています。

 3月頃少し暖かくなってきたら、息子も乗るだろうし、安いロードを1台買おうかと思っています。最近のは台湾製が多いのですが、4万円くらいのやつってどうなんでしょうか。古い古いピンクのSANNOWは、約9kgで仕上がっていますが、重量なんかもどうなんでしょうか。最近の台湾製は、実はピンクのSANNOWより、全然性能的には良く、快適だったりして。(乗る事だけを考えれば、気軽にそこいらに駐輪できる物は、とても魅力的です。)

 現在は、春からのピンクのSANNOW復活の為に、不足している改造の準備期間となってしまいました。部品はとりあえず集めるだけです。ほんとうは、集めた部品を、ピンクのSANNOWに組み込んでこそ、満足感が得られるのですが、今は押入から出すのがおっくうな事から取り付けはしていませんので、ストレスが非常に溜まってしまいます。

 改造計画は、ざっと以下のとおりです。

  ①ペダルキャップを三ヶ島からカンパに交換。(入手済)
  ②ヘッド小物を、丹下レビンからカンパ鉄レコードに交換。(入手済。)
  ③ブルプロを捜す。(カンパ2本締めピラーと共に探し中。)
  ④フロントブレーキアウター受けをシマノからユニバーサルに交換。(探し中。)
  ⑤リアブレーキのアウター受けが錆びてちぎれそうなので、ユニバーサルに交換。
    (もともと手元に有り。)
  ⑥SANNOWのロゴステッカー作成。(現在ロゴを調査中。)
  ⑦カンパ純正のクランクボルトとキャップが欲しい。
    (キャップは入手済、クロームボルトは探し中。)
  ⑧スギノのBBセットを、カンパのBBセットに交換したい。(シャフト有り。カップは安価で捜し中)
  ⑨リアのタイヤをもっとクラシカルデザインの物に(すり減ってから交換)
  ⑩バラバラになったRDワイヤーの交換。(これはカンパにこだわりません。入手済。)

 上記、前にも公開しましたっけ?まあいいや。

 入手済の部品を手に取り、早く交換したくて、いらいらしています。とりあえず春になってからの楽しみと言う事です。

2009年12月7日月曜日

その後のRUN(8th、9th) パンクだあ!!!

 20数年ぶりに古い古いSANNOWを引っ張り出し、オークションでせっせとカンパを集め、整備して乗り始めたのは、まだまだ暑い9月の事でした。

 それ以降、7回のRUNを経て、約300km程度走りました。

 その後ですが、
  ・ 8回目は、前に行った彩湖の更に先の、羽根倉橋まで行き、約55km走りました。
  ・ 9回目は、また都会の皇居を抜け、2度目の葛西臨海公園です。

 9回目の遠出でついに心配していた事がおきました。
 葛西臨海公園を一回りして、例によって荒川河川敷を帰路での出来事です。

 河川敷は整備されてはいる物の、所々どうしても未舗装部分を走る事になります。

 特に、自転車以外を通さないようにする為のU次型の柵があります。本来手押しでこの柵の隙間を抜けていくように作られていますが、実際には、手押しがおっくうなので、大半の人たちは、その横の緑地部分を走り抜けているようで、芝生の一部に通路が出来てしまっています。

 こういうところを走るときは、減速すればいいのでしょうが、いつもそこそこの速度で、その未舗装部分をすり抜けてしまうので、タイヤが痛まないか心配でした。
 そんな日々を繰り返しているうちに、ついにしっぺ返しが来てしまいました。

 どのタイミングが原因かはわかりませんでしたが、突然乗り心地が悪くなり、「ついに来たか!」と停止してタイヤを見ると、なんと、後輪がパンクです。
 以前に軽く縁石の鋭利な部分で、タイヤを痛めたままでしたので、それが原因じゃないかと疑いましたが、この場合はバーストの可能性もあり、もうひとつ一大事になるところでした。そうなったら、タクシーで帰宅になるのでしょうか?その時ロードはバラしてトランク???それとも、家内に電話して、自動車で向かえに来て貰う???

 しかし、バーストではなかったので、ビビる事はありません。えへん。なんとパンク修理セットをもっているんですね!おまけに、チューブラーだと、タイヤ交換及び縫い目をほどいての修理に経験がなかったので、我が愛車は純粋なレーシング仕様でありながら、WOを履いていました。

 もちろんWOのパンク修理の経験はありますので、早速、道ばたに止めて修理です。

 小さい穴だったら、水に入れないと発見できないのではと、不安を抱えながら、タイヤから取り出したチューブに恐る恐る空気を入れました。
 空気を入れたとたんに、並んだ2個所からしゅ~~っと空気が出ていました。
 地面とリムに挟まれてパンクしたようです。

 早速糊を付け、パッチを貼り、タイヤに納める前に空気を入れ確認です。今時の糊は、トルエンの入っていない物なんですね。全然シンナーを吸っているような罪悪感はありません。
 漏れもなさそうで、大丈夫そうなので、タイヤに納め、空気を入れて復活しました。

 なんとその所要時間は10分程度。自分としても満足のいくタイムです。
 
 大満足で再度走り出しました。

 しばらく走り、緩いカーブにさしかかると、グリップ力が無く、何となく調子が悪いです。再び止めてタイヤを触ってみると、結構空気が抜けています。

 ちゃんと確認したはずなのに、と思って再度空気を入れて走り出します。
 しばらく走ると、また空気が減ってきます。

 もう一度チューブを取り出して点検しようと思いましたが、もう既に空が薄暗くなっているのと、家まではあと5km程度だったので、この後5回ほど空気を足しつつ、家迄何とか走り抜きました。

 本日も、ぐったり疲れ、パンクは放置して終了です。

 エア漏れの原因追及は後日という事で、本日は、55km、の延走行距離は410kmに達しました。

2009年12月3日木曜日

ヌーボレコRDのワイヤー固定部って丈夫なの???

 以前に使っていたチェーンホイールはPCD151のマイティコンペ52 ×48の超クロスレシオだったと思いましたが、手ごろな価格でヌーボレコチェーンホイールが手に入り、鉄GSのでキャパオーバーから、手持ちのヌーボに交換しました。

 RDの機種により必要とされるワイヤーの長さが違うのかよく解りませんが、今まで使っていたワイヤーでは長さがぎりぎりで、何度か締め直しているうちに、ハンダを流し込んで固定していた先っぽがバラバラになってしまいました。

 そこで心配なのですが、ワイヤーを留める部分はボルトこそ鉄ですが、受け側は軽合金じゃないですか。

 レストア後、なんとなく不安で思いっきり締める事が出来ず、その結果、1日も走るとすぐに緩んでしまい、何度も微妙な増し締めを繰り返しています。こんな事を続けていくうちに、軽合金側のネジ山が削れてしまうのではと思い、思い切って締める事が出来ません。

 皆さんはどうしているのでしょうか。それとも結構丈夫なのでしょうか。

 こんな不安を解消する為に、実は手元にある鉄レコに交換しようかと思案中です。

 チェンジの際も、鉄レコや鉄GSの方が、剛性が高いのか、レスポンスが良いような気がします。

 こんな事をしているうちに、夏頃アップした写真(http://picasaweb.google.co.jp/toshi.naganuma/MyBicycleVintage#)も、所々が変わってきています。

 春頃には、再度写真を撮り直したいと思います。

 あらためて写真も見直すと、下記のような改造やプランが頭をよぎります。

  ①フリーのトップがねじ切れたので、ミルレモからレジナに交換。(済。)

  ②ペダルはカンパなのにキャップは三ヶ島でだったので、カンパキャップに交換予定。
    (プラで4000円位もしましたが(T_T)入手済。)

  ③ヘッド小物が、丹下レビンだったので、カンパ鉄レコに交換予定。(これは安く入手済。)

  ④サドルをワイヤーベースのユニカかブルプロにしたい。(カンパピラーと共に探し中。)

  ⑤フロントブレーキアウター受けがシマノなので、ユニバーサルで探し中。

  ⑥リアブレーキのアウター受けが錆びてちぎれそう。(手元にユニバーサル有り。)

  ⑦SANNOWのロゴステッカーが欲しい!!

  ⑧カンパ純正のクランクボルトとキャップが欲しい。

  ⑨スギノのBBセットを、カンパのBBセットに交換したい。

  ⑩リアのタイヤをもっとクラシカルデザインの物に変えたい。

 てな感じですが、上記⑨について一つ疑問です。

 手元にBSCのBBセットがありますが、薄ワンって、普通のやつと何か違うのでしょうか。はめてみると、シャフトの長さが足りません。誰か教えて下さい。
 

2009年11月20日金曜日

9月26日(土) 7th RUN 木場!木場!木場!

 そろそろ行ったことの無い方面が無くなってきました。

 北方面が続いていたので、今回は南方面へと考えましたが、既に葛西臨海公園へは行ってしまったばっかりなので、午前中は家でグーグルマップとにらめっこです。
 葛西臨海公園は荒川の東岸ですが、じゃあ今度は西岸!!と言う事で木場に決定です。正直行った事はありません。

 じゃ、木場まではどうやって行くか??
 行く手を阻む信号や自動車がない事から河川敷しか頭になかったのですが、ここで考え直し、今日は都会を走っていこうと趣向を変えました。

 まずは巣鴨付近から白山通りを皇居に向かいました。自動車でももちろん自転車でも慣れた道です。
 皇居前広場の広くて人通りの少ない歩道を駆け抜け、晴海通りを、有楽町、銀座、築地を通過して、さらには豊洲を抜けて一気に湾岸線まで行きました。銀座はふつう電車で行くので、そこを自転車で走るのは複雑な気分です。

 高速湾岸線の下を走るのは気分的にやなので、湾岸道路をくぐり、海沿いを木場に向かいます。
 トラックがたくさん走っていて、決して空気が良い訳ではありませんでしたが、海景色は良かったので結果オーライとします。

 木場の先には、若洲海浜公園というのがあり、のんびりくつろげる公園とゴルフ場があります。釣りなんかも流行っているようです。
 この公園、結構ゆったりしていてとても気に入りました。東京に長いこと住んでいましたが、知りませんでした。ここも、家族で車で出掛ける候補地です。

 公園(ゴルフ場)の廻りをぐるっと一回りし、次の目的地に向かいました。

 橋を渡って木場へ戻ってなるべく荒川沿いをと走ったところ、なにやらヘリコプターが飛んでるじゃないですか。東京へリポートでした。
 ヘリポートの海側は公園になっていたので、公園のベンチで休憩を兼ねたヘリコプター見学です。
 ヘリコプターは、以前に観光やへリスキーで乗った事がありましたが、久々に近くで見ると、とてもうるさくてそれがなんだかかっこいい!!って感じです。

 なんだかんだしている内に、時間も経過していましたので、帰りはいつものお世話になっている荒川河川敷を走る事とします。
 ヘリポートが荒川沿いなのでそのまま川沿いをと考えましたが、川沿いには道がありません。

 遠回りをして明治通りから河川敷に向かいましたが、明治通りは夢の島公園を貫通しています。時間があれば公園を散策したかったのですが、今日はあきらめて、公園の端をちょろっと覗いて河川敷に向かいました。

 河川敷は例によって向かい風です。頑張ってペダルを漕ぎ、家まで最短距離となる四つ木橋から西日暮里を抜けて帰宅しました。

 結局今日も、へとへとです。約55Kmの道のりで、本日で延300Km走破です。

2009年11月19日木曜日

中学生から高校生の頃はランドナー三昧でした。

 ランドナー三昧当時の思い出を、思い出すままに書いてみます。


 中学生から高校生にかけてのころ、電車代にそんなにお金をかけられなかったので、自転車で遠出して、テントに泊まるというのが最適でした。

 その頃体力はありましたが、それでも1日に120Km程度が限界です。120Kmというと、ちょうど我が家から富士五湖あたり迄の片道です。泊まりで行くにも日程に限界があるので、富士五湖あたりに行くときは、往きは輪行で、還りは走ってといったパターンが多かったです。標高の高い場所へ行くにはそのパターンの方が、還りに下り坂が多いので楽です。

 千葉方面に行ったときは、往きは輪行で外房まで行き、千葉の山のなかを横断して木更津へぬけ、フェリーで川崎迄渡り、また走っって東京へといったパターンです。

 鎌倉に行ったときは、輪行で北鎌倉駅まで行き、無謀にも天園方面の山道を走りました。(ほとんど手押しでしたが。)

 やびつ峠に行ったときは、太平洋側から舗装路をひたすら登り、下りはダート道をとばしました。

 奥多摩湖から塩山へ抜けたときは、雪道で恐ろしかったです。

 山中湖の知人の別荘に泊まりで行ったときは、よる花火大会があり、今でも心に焼き付いています。往復走り抜きました。

 軽井沢も知人の別送を利用しましたが、往きは万座鹿沢口まで輪行し、軽井沢に2泊して、家まで走って帰ってきました。

 それ以外にも、いっぱい、いっぱい色々なところに行きました。

 今思い返すと、結構無謀な計画もありましたが、どれも楽しかった思い出です。

 この年齢になると、このようなサイクリングには出掛けられません。近場を数時間流す事が主ですが、近場の良さも解ってきました。

 近いのに、行った事がなくて結構良い場所だなと感じるのは、ざーっと以下の所です。

   ・彩湖  ・木場  ・豊洲あたり  ・葛西臨海公園

 最近寒くなり、ロードで出掛けるのがおっくうです。早く温かくならないかなと思います。

9月23日(水) 6回目のRUNは、息子と一緒でした。

シルバーウィークの最終日です。連休最終日なので、体を休めようと朝から家でゆっくりしていました。しかし午後の3時頃、息子が、とある事で頼み事をしてきたので、これがチャンスと思い、条件つきで相談に乗りました。その条件として、自分と一緒に走りに行く事で話がまとまりました。

とはいえ、我が家にはスポーツサイクルが1台しかありません。私がロードに乗り、息子が5段ギヤのママチャリです。

早速家を出て、例によって田端経由で、5Km程走って荒川河川敷に到着です。

さすがに高校生の息子は元気です。河川敷に着いても、全然疲れた様子はなく平然としていました。私が、「これ軽いけど乗ってみる?」と聞くと、すぐに「乗ってみる!」との返答が来ました。息子は運動音痴ではないのですが、ドロップハンドルとトークリップにはとまどっていました。数分も走るとすぐに慣れ、スポーツサイクルの快適さが解ったようです。そのおかげで、河川敷を走っている間は、SANNOWを返してくれず、私はママチャリで、息子に必死について行く事になりました。

息子はトークリップに慣れておらず、始終クリップを引きずりっ放しです。樹脂製のクリップは無惨な姿になりました。でも、かわいい息子が自転車の良さを理解できたので良し!としました。キャッツアイのショボい樹脂製クリップだったので、この機会にと思い、スチール製のクリストフをオークションで落とし、いつでも交換できる状態です。

本日の走行距離は25Km程ですが、息子にとっては新鮮な経験だったようです。私にとっては、ロードの50Kmより、ずーーっときつい、ママチャリの25Kmでした。ママチャリをこぐに使う筋肉は、ロードをこぐときの筋肉とは全然違うようで、いつもとは違った場所の筋肉が痛くなりました。

息子はもともと一人でママチャリで出掛けるのが好きなので、私が、「ロードもう1台買ったら乗る?」と聞いたら、「乗る乗る!!」と答えが返ってきました。(もちろん私のSANNOWは、壊れたり盗まれたら大変なので絶対貸せません。(^_^;))

オークションに出品しているGS継ぎハブやカンビオコルサが売れたら、1台買ってやろうと思います。

2009年11月17日火曜日

懐かしいロッカー Char/アルバム「Char」

 自転車に乗り始めた頃、洋楽なんかも聴き始めたのですが、その頃は学生ながらも友人がバンドを組んでミニコンサートを開いたりしていました。あいにく私は楽器音痴なので、見に行っているだけでしたが、友人の影響もあり、Charがとても気に入っていました。

 ところで、Charって知ってます?
 もう結構いい年ですが、最近ではVaioの宣伝なんかをしていました。(電車の中の宣伝で見ました。)
 まだまだかっこいいです。

 当時の曲でヒットしたのが、「闘牛士」や「スモーキー」、「気絶するほど悩ましい」などです。

 Charはギタリストとしての腕前は日本国内でトップクラスでした。
 そのころ一般受けしていたのは高中正義あたりですが、ギターの腕は比べ物になりません。

 曲が一般市民にヒットしていた頃はアイドル的に扱われ、ドラマや雑誌にも出ていました。
 何の雑誌かは忘れましたが、とある雑誌では、サイクルキャップをかぶりロードレーサーに乗っている写真が掲載され、実はサイクリストであったという記事がありました。

 そういえば、Charのファーストアルバムである「Char」のなかには、我々サイクリストや登山家などが感じる、大自然を愛する思いみたいな気持ちを歌っている曲があります。

 当時はLPでしたが、今はCDも発売されていますので、特に初期の頃のCharを聞いてみて下さい。
 ちょっと古くさいですが、とってもお薦めです。

2009年11月12日木曜日

「サイクルセンターすずき」って知ってます?

私が中学生~高校生くらいの頃に、我が家から比較的近めの有名サイクルショップと言えば、アルプススポーツです。もう無いんですよねえ。オーナーではないと思いますが、異常に度の強い牛乳ビン底眼鏡をかけたおっさんが、作業着を着て親しく話しかけてくれました。友人とは影で「ホモ親父」と呼んでいましたが、ひどい話ですよね。今はどこで何をしているのでしょうか。

アルプスよりも頻繁に通ったのは、王子にあるサイクルセンターすずきです。当時、暇を見ては通い続け、ショーケース内のカンパやユーレを眺めては、高い値段にため息をついていました。このショップは、スモールパーツも揃っていて、いちいち取り寄せなくても買う事が出来た記憶があります。いつも安い物をちょっとしか買わないのに、店に入ると、トンでもなく長く入り浸っていたので、今考えるとやな客だったと思います。その頃店には、ぶっきらぼうなお兄さんと、にこにこした親父さんが居ました。

そのサイクルセンターすずきですが、この夏に、愛車SANNOWのレストアの為、タイヤやチューブを買いに訪ねてみました。そのあたりに行ったのは30数年前ぶりでした。おぼろげな記憶を頼りに、前の道順の通り明治通りから行ったのですが、ショップの入っていたビルすら見つかりません。

数日前に何気なくインターネットで調べたときには、まだ存在している事を確認出来ていましたが、その地図を持って行かなかった為場所が解らず、何度か往復したり、ケータイのナビタイムなどで調べやっと存在を確認しました。

当時ショップの入っていたビルはなくなり、大きなソフトバンク?のビルになっていて、その2階の片隅にありました。入口もビルの端のちょっとした階段から上っていきます。看板は出していたのですが、通りに面しているもんだとばっかり思いこんでいたので、見つける事が出来なかったようです。

おそるおそる店にはいると、なんと例のぶっきらぼうなお兄さん(おじさんになっていましたが...)がまだ健在でした。懐かしさの涙を抑えつつ、タイヤやグリスを購入し、当時の通って入り浸った話をしてみました。僕にとっては、本当に懐かしい思い出だったのですが、そのお兄さんは相変わらずクールで、ああそうですか。全然覚えていません的な応答で、ちょっと悲しかったです。

2009年11月11日水曜日

最初の本格自転車 ベニックス

私のSANNOWを譲ってくれた方は、今はもうすぐ定年退職位の人です。

私の頃は、自転車に乗る人を普通に「サイクリスト」等と呼んでいましたが、その人の時代は、「ジテ公」と呼んでいたそうです。漢字が違うかも知れませんが。

私が自転車に乗り始めたきっかけですが、ざっと以下のとおりです。

私が中学生位の頃に、父の友人で、自転車マニア(競輪マニア)がいて、私の家に遊びに来た時に、エバレスト、エバレストと言っていました。私は自転車のことは良く知らず、山の「エベレスト」の間違いじゃないの?と思っていました。後にわかったのですが、湯島あたりにあった土屋製作所のマシンだったようです。当時は確かにエバレストと言っていました。

そのかたか、他の方かははっきり覚えていませんが、父の友人が、当時ラグレスハイテンのベニックスランドナー(丸紅山口製)をくれました。ノートンのサイドバッグとキャリアも一緒にです。その頃私はセミドロップに乗っていて、友人達はロードマンです。ロードマンがやけにかっこよく見えていた頃なので、そのベニックスはイメージカラーの汚い黄土色のやつがちょっといやでした。ベニックスを乗るにつれて、ベニックスは本格的であり、ロードマンがおもちゃに見えるようになってきました。

その頃(中学生くらい?)からテントを積んでよく出掛けるようになり、私の自転車マニアが始まりました。

(続きは後日投稿します。)

2009年11月9日月曜日

9月22日(火) 5回目のRUN「彩湖」

 今年は9月にシルバーウィークというのがありました。

 5連休の内、1日目は葛西臨海公園へ行きましたが、もう一日ぐらいは出掛けたいと思い、例の川口の方の勧めでもあった、笹目橋のむこうにある彩湖まで行きました。

 戸田橋・笹目橋あたりは結構遠いんじゃないかと思っていて、前に戸田橋まで行ったときには、中山道を直進して近道しましたが、今回は荒川までの最短距離である、江北橋からのチャレンジです。

 ひたすら荒川東岸を北上し、あっという間に彩湖に到着です。

 河原には人工的な石畳みたいな通路が水上にあって、子供達が遊んでいます。

 とてもいい場所だったので、今度は家族と車で来たいと思いました。

 彩湖までは結構早く着いたので、更に足を伸ばして、秋ヶ瀬橋まで一気に駆け抜け、今度は荒川西岸を南下です。結構体も慣れてきて取っても快適でした。

 本日約50Km走行で、延べ220Kmの走破です。

 ところで、我が愛車であるピンクのSANNOWと言えば、初日にフリーのトップがちぎれてしまい、不便な思いをしていました。

 実はいつの頃からか手元にレジナを持っていました。

 ちぎれたミルレモのフリー抜きが無かったのですが、先日通販でパークツールのやつを注文し、やっと到着したので、出掛ける前に交換しました。

 トップがあるか無いかで、快適度がこんなに違うとは...レジナはうるさいという人もいますが、このうるささは結構心地よいと思います。

 ただし、やり方がまずかったのか、クイックシャフトが曲がってしまいました。

 また、リアハブは6速用のハブアクスルでしたが、6段フリーは持ち合わせがなかったので、ミルレモ5段を入れていました。フレームは120mmだったのですが、問題ないだろうと判断し、フレームを無理矢理広げてはめていました。(本当に良かったのでしょうか?)

 今回せっかくフリーを外したので、このついでにアクスルの120mmに交換です。手持ちの別のカンパハブから120mmアクスルとクイックを外して、ピンクのSANNOWに取り付けました。

 2つの不安を一気に解消できてとても満足です。さらには曲がったシャフトも交換できて喜び3倍です。

 自転車いじりのプチ幸せはこんな所にもあるのではないかと思いますが、皆さん如何でしょうか。

 ちなみに、ピンクのSANNOWでは、まだパンクなどその他のトラブルは経験していません。

2009年11月6日金曜日

9月19日(土) 4回目のRUN「葛西臨海公園」

 長期休暇が終わり、昨日まで4日ほど会社に通いました。長いあいだ会社に行っていなかったので、今週は仕事が結構きつかったです。やっと土曜日になったので体を休めようと思いましたが、今日の我が家は誰もいません。で、暇なので、やっぱりサイクリングに出掛ける事にしました。

 先日、川口出身の方のお勧めがありましたが、長距離?も慣れてきたので、今日は葛西臨海公園までの挑戦です。

 ところで、ピンクのSANNOWですが、入手時は塗装無し→スプレー缶の黄色を経て→今のピンク焼き付けになりました。好きこのんでピンクにしたのではなく、ピンクと赤の中間程度のパール塗装を狙ったのですが、塗装屋がパールを入れすぎたのか、まるっきりピンクになってしまいました。また、不明のチューブラーリムにアトムのハブが実装されていましたが、チューブラーのパンク修理などは一度もした事が無く、かなり不安だったので、レストアの頃ちょうど手に入ったMAVICのWO+カンパスモールレコに交換しました。

 さらには、パンク修理キットを買わなければと思いつつ、不安を抱えながら今まで過ごしてきましたが、荒川に向かう途中で中規模のサイクルショップがあり、パンク修理キットを買いました。これでいつでもパンク来い!状態です。

 四つ木橋から荒川東岸を南下して行くと、平井あたりから中川と並ぶんですね。両川の間を走っていると、葛西臨海公園まであと4~5Kmのあたりでなんと行き止まりです。知りませんでした。やむを得ず、渡れる橋まで戻り、なんとか葛西臨海公園に到着です。

 葛西臨海公園に近づくと、なにやら今流行のファッションをまとったサイクリストがウジャウジャいます。公園にはいると、誘導員に導かれ、イベント会場に到着です。誘導員が「こっちこっち」って言うからついつい行ってしまいましたが、TOKYOセンチュリーライドARAKAWA2009というイベントでした。

 私には全然関係ないので、さらっとその場をさり、コーラゼロを飲み干してディズニーランドを眺める事としました。

 そうこうしている内に、午後3時頃になってしまったので、帰る事とします。

 扇大橋まで戻り、田端経由で帰路についてのですが、なかなかの向かい風で、思うように進みません。川口で出会ったオッちゃんは元気だなあと思いつつ、何とか頑張って家に到着です。

 本日の走行距離は、今までで最長の約55Km、延べ走行距離は170Kmです。
 (9月19日の記録ですが、今日はもう11月で、寒いこの頃です。)

2009年10月27日火曜日

9月14日(月) 3回目のラン「北方面の遠出」

 5日前にロード(今ではバイクと呼ぶのでしょうか?私はロードと呼ばさせて頂きます。)が完成し、今日で3回目のランです。

 また、今日は長期休暇の最終日です。長い事休んだので、明日から会社に行くのがちょっといやです。

 1回目は近所の皇居周辺、2回目は荒川河川敷下見で、そろそろ筋肉も慣れてきたと思い、遠出(中出?)を試みました。

 我が家は巣鴨駅付近なので、思い切って中山道を北上し、戸田橋から一気に扇大橋までの南下コースです。

 同類のビンテージロードを捜しつつキョロキョロしながら走っていましたが、なかなか見つかりません。そうこうしているうちに、鹿浜橋手前で珍しく河川敷土手から入れる御茶屋が...ボトルケージを装備していない我愛車には、有り難い場所です。前回までは、のどを潤す為に、河川敷からわざわざ離れてジュースを買いに行っていました。 都市農業公園という所?でしょうか。スポーツマンらしからぬ行為でしたが、コーラを一気飲みしました。(いちおうノンシュガーのコーラゼロです。)

 その手前の当たりでは、同年代のクロスバイクに乗った人と話をしました。彼も健康の為に走っている川口市民だそうで、私が「初心者で~す。」と挨拶をすると、「葛西臨海公園や彩湖も結構近いですよ。行ってみたら?」と薦められました。心の中では、「それって結構遠いんじゃないの?すごいなあ。」と思い、もうちょっと体力が付いてから行ってみよう!!と心に誓いました。

 そんな訳で、いつも車で行っている、ケーズ電気を横目に見つつ、扇大橋で河川敷にさよならを言って帰路につきました。

 本日の走行距離は約50Km、延べ走行距離は100Kmの大台を超えました!

 結構くたくたです。

2009年10月20日火曜日

9月11日(金) 荒川河川敷初体験

 昨日の筋肉痛がつらかったのですが、ここでサボってはと、体にむち打って、出掛ける事にしました。
 実は今、会社の長期休暇期間中の途中で、あと3日休みがのこっています。この機会を利用してロードの整備と、慣らし運転(ロードも体もです。)をはじめた訳です。

 どこに行っていいのか解らず、グーグルストリートビューで近所を眺めたところ、荒川河川敷って良さそうだなと思い、西新井橋から江北橋まで西岸を走ってみました。恥ずかしい話、荒川河川敷がサイクリングにこんなに適している事は知りませんでした。

 信号や走行車のいない河川敷はとっても快適でしたが、先日壊れたフリーホイールはそのままなので、トップが使えなかった事が悔やまれます。

 オークションではビンテージ物が流行っているので、同趣味の人がいたら声をかけようと思っているのですが、意外と居ないもんですね。(反対にピンクを見かけたら声をかけて下さい。)

 一部砂利道なんかもあったりして、パンクなどしないように、おそるおそる走ったりして、今日は約40Km程度走りました。

 本日までの延走行距離は65Kmです!

2009年10月15日木曜日

9月10日(木)  20数年ぶりのの試運転/皇居・北の丸公園

9月10日(木) の試運転

 レストアしていたロードは、ブレーキパッドが劣化してヒビヒビです。なにせ古いブレーキレバーなので、パッドが手に入りません。やむを得ずヒビヒビのパッドの上に、コットンのバーテープをぐるぐる巻きにしてごまかし、何とか使えるようになりました。ディレーラーの調整を最後に、やっとの思いで完成です。午後からは、皇居北の丸公園まで行って、完成したロードの写真でも撮影する事としました。往復25Km程度の道のりです。

 家を出て颯爽に...と走り出しましたが、何故かふらつきます。20数年前はこれほど不安定だったとは思いませんでした。しかし暫くすると、安定して軽快に走れる様になりました。ママチャリになれてしまった体が原因だった様です。

 15分ほど走り、フリーホイールのトップギヤで踏み込んだところ、トップギヤのネジがちぎれて、外れてしまいました。古いミルレモだったのですが、大事には至らず、ディレーラーを2速までしか行かないように調整し、再度出発、皇居を1周して無事、北の丸公園に到着です。

 写真撮影を終了し、帰宅路に向かいました。

 これだけで結構、肩やら、モモやら、腰やらがいたいです。

 未完成の割には、自己満足の写真ですが、下記に掲載中です。

   http://picasaweb.google.co.jp/temponaga/MyBicycleVintage#

2009年9月29日火曜日

ピンクのSANNOW

私も40代後半になり、あんなに自信があった体力も低下してきました。
世の中にはそんな事を思っている人がたくさん居ると思います。
その中で、私は青年だった頃を思い出し、古い古い自転車をレストアして、太ってしまった自分を見つめ直したく、新たな趣味に走り出しました。
46才になる9月の中旬から走り出し、現在2ヶ月経って、やっと400kmを走破したくらいです。
初めてのサイクリングから順を追って紹介致しますので、同感できる方、ブログに参加をお願い致します。